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なぜ「塔」は「卒塔婆」の"略称"と見做されるようになったか

先日、「塔」の語源について考察した。

 

woctus.hatenablog.com

 

そこでの議論は以下の通りであった;

・日常的には"tower"の意味で使われる「塔」という言葉は、もともと仏教用語で、仏舎利などを納める「ストゥーパ」(梵:stūpa, 巴:thūpa)を指していた。

・「塔」の語源について、『大辞泉』『新選漢和辞典』など少なくない辞典が、stūpaを音訳した「卒塔婆」の略称と説明しているが、これは極めて疑わしい。

・第一に、上古音(周-漢代)*1において「塔」は*tʰuːbであったと推定される。このため、敢えて「卒塔婆」の略称とする必要はなく、「塔」単体でパーリ語thūpa(ないしその同根語)を音写したものと考えられる。

・第二に、「塔」は、仏教の中国伝来から間もない時期に編纂された『説文解字』(2世紀前半)にも収録されている。そこには、「塔」がストゥーパを指すとの記述は見られるものの、この語が「卒塔婆」の略称であるとの記述は一切ない。

・第三に、stūpaの訳語としての「卒塔婆」は、そもそも中国においてあまり普及していない(代わりによく用いられるのは、「窣堵波」である)。

 

このため筆者は、「塔」はストゥーパの訳語であっても、「卒塔婆」の略称ではないと考える。

しかし、だとすると、大辞泉』のような辞書でさえ、「塔」の語源について”誤った”説明をしているのは奇妙である。やはり、そこには何か理由があるはずだ。

今回は、この点について考察する。

 

結論から言えば、こうした"誤解"は恐らく、梵語としての「(卒)塔婆」を、漢語(中国語)としての「卒塔婆」と混同したことにより生じたのだろう。

 

そもそも、中国語(や日本語)で用いられる漢字は、一つの文字が語や形態素に対応する「表語文字」である。結果として漢字には、数多くの同音異字が見られる*2。これに地域・時代による音韻の変異も加わり、1つの外来語には、可能な漢字表記が幾通りも存在する事態となった(e.g. "cheese"「芝士」「起司」「起士」「吉士」)。

 

ストゥーパ」の音訳において起こったのは、まさにこれである。

最も著名な訳経僧の一人・玄奘は、『大唐西域記』(646年)の中で、その混乱っぷりを次のように記述している。

諸窣堵波、即舊所謂浮圖也。又曰鍮婆、又曰塔婆、又曰私鍮簸、又曰藪斗波、皆訛也。

 (諸の窣堵波は、即ち舊く浮圖と謂う所なり。又た鍮婆とも曰われ、又た塔婆とも曰われ、又た私鍮簸とも曰われ、又た藪斗波とも曰われるも、皆な訛りなり。)

玄奘の言う「訛り」が、パーリ語ガンダーラ語・マガダ語のようなインドの「俗語」で生じた「訛り」を指すのか、それともインドの言葉が漢語に入って生じた「訛り」を指すのかは、判断しかねる。いずれにせよ、サンスクリットのstūpa(ないしその同根語)に対して、実に様々な漢字が当てられた事実が、上の引用文から窺えるはずだ。

このようにして漢語では、「塔婆」を始めとする大量の語が、ストゥーパの意味で使用されるようになった。『大唐西域記』には言及がないものの、問題の「卒塔婆」もその一つだろう。これが、漢語としての「卒塔婆である。

 

一方、サンスクリットとしての「(卒)塔婆」とは、stūpaの漢字表記である。両者はかなり紛らわしいが、「昨日、公園でサッカーをした」という文の「サッカー」を前者とすれば、後者は「蹴球は英語でサッカーと言う」の「サッカー」である。つまり、サンスクリットとしての「(卒)塔婆」とは、stūpaという言葉自体に言及(=引用)するための漢語である。

表音文字である仮名文字を採用した日本語と異なり、中国語では、別言語からの引用も漢字で表記しなければならない。また、漢文で書かれた文献には、引用部分を他から区別するクオーテーションマークの類も、もともと存在しない。そのため、「(卒)塔婆」という文字列を見ただけでは、それがサンスクリットからの引用か否か判断できない。

そして、この"ややこしさ"こそが、「塔は卒塔婆の略称である」という言説の広まる要因になったと筆者は考える。

 

「塔」の語源について、唐僧の道宣が編纂した『戒壇図経』の開序には、次のように記されている(※書き下しは大目に見てください)。

原夫塔字此方字書乃是物聲、本非西土之號。若依梵本、瘞佛骨所名曰塔婆、此略下婆、單呼上塔。所以經中或名偸婆窣堵波等...。

(夫の塔の字を、此方の字書に原(たず)ぬるに、即ち是れ物の聲なるも、本より西土の號に非ず。梵本に依るが若く、佛の骨を瘞むる所を名づけて塔婆と曰い、此れ下の婆を略して、單に上の塔を呼ぶ。經の中に偸婆・窣堵波等と名づくる或る所以なり...。)

(超訳:「塔」の語源を中国の字書で調べたところ、(インドの言葉の)音写とあった。しかし、これはインドにおける本来の呼称ではない。あるサンスクリットの文献には、仏舎利を納める場所は「塔婆」と呼ばれる、と書いてある。そこから「婆」の部分が脱落したのが「塔」である。仏典の中に見られる「偸婆」・「窣堵」などの言葉も、同じ語源である。)

ここに記されているのは、漢語の「塔」がサンスクリットの「塔婆」(₌stūpa) に由来する旨である。決して、漢語の「塔婆」を略したのが「塔」だ、と言っているのではない。

思うに、この『戒壇図経』の一節に説かれた内容が、日本で伝言ゲーム的に"誤って"広まったところ、多くの辞書が「塔」の語源を「卒塔婆」の略称とする結果となったのではないか。

 

今回の考察を検証するには、日本における国語辞典や漢和辞典の編纂史を調べてみる必要があるだろう。

 

いかがでしたか?

*1:再構は、鄭張尚芳による。塔 - Wiktionary

*2:もっとも、類似した現象は、英語など表音文字を採用する言語にも見られる(e.g. she, motion)。しかし表音文字には、1つの音素や音声に対して、せいぜい片手で数えられる程度の文字が存在するに過ぎない。一方の漢字は、声調を考慮した場合でさえ、両手で数えられないほどの同音異字が存在するケースも珍しくない。c.f. Category:Mandarin pinyin - Wiktionary

「塔」は「卒塔婆」の略ではない

・「塔」と言えば普通、高くて細長い建造物のこと。e.g. エッフェル塔五重塔

・しかし、意外にも「塔」はもともと仏教用語

・「塔」には、サンスクリットstūpaや、パーリ語thūpaと語源的な繋がりがある。

 

・ちなみに、stūpaは、語根√stūpに名詞形成接辞-aが付いて派生した語。

c.f. Sanskrit Dictionary for Spoken Sanskrit 

・この語は、印欧祖語の*(s)tewp- に遡れる?

c.f. *sewh₁ -> sū「動かす」  Reconstruction:Proto-Indo-European/(s)tewp- - Wiktionary 

・原義は、「積み上がったもの」 cf. √jīv「生きる」jīva「生命」

・そこから転じて、仏舎利 (ないしその代用物) を納めた建造物の名称に*1

 

f:id:Woctus:20201204223537j:plain

ストゥーパの例。徳島県徳島市眉山公園内にある「パゴダ平和記念堂」。筆者撮影。

 

・仏教がインドから中央アジアを経由して中国へ伝わった後、stūpa卒塔婆」「窣都婆」「窣堵坡」「窣堵波などと音訳された (窣堵坡 - 维基百科,自由的百科全书)。

・特に「卒塔婆」は、日本で意味が転じ、墓の傍に立てる細長い板の名称にも*2

・そして、多くの辞書・辞典が、「塔」の由来を、卒塔婆」の"略称"としている。

    (『デジタル大辞泉』『日本国語大辞典』『新選漢和辞典Web版』『仏教語大辞典』等)

・だが、この語は「卒塔婆」の略称ではないのでは?

 

「塔」の由来を、「卒塔婆」の省略形と見做すべきでない根拠は次の3つ。

・「塔」の読み方

・『説文解字』における「塔」

・漢訳経典における「卒塔婆」の使用頻度

 

①「塔」の読み方

・この字の読みは、現代標準中国語 (所謂マンダリン) ではtǎ、日本語では「とう」。

←一見、stūpaとはかけ離れている。

・しかし、より古い発音を残す広東語ではtaap3韓国語では탑(thap)

・日本語でも、かつてはtapuと読まれた (歴史的仮名遣い「たふ」)。

※ハ行子音の音価がもともと[p]だったのは、広東語・韓国語との対照や、琉球諸語との比較より明らか。

→実際、隋-宋代の韻書・韻図などを基に再建された中古音では、「塔」はtʰɑp

→また、『詩経』(周代)の韻や、漢字の音符などを基に再建される上古音では、*tʰuːb

c.f. 塔 - Wiktionary

 

・なお、仏教が中国に伝わったのは後漢・明帝の治世(1世紀後半)とされる。

・同時期に、ストゥーパも中国に伝わったと考えられる。

・最古の漢訳経典とされる『四十二章経』(1c後半?)の序文には、「帝...登起立塔寺」とある。

c.f.『大正新脩大藏經』第17巻 https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

・ところで、仏典の漢訳に携わった訳経僧にはインド・中央アジア出身者も多かった。

※『四十二章経』の訳者と伝わるのは、インド中部出身の迦叶摩騰と竺法蘭

・彼らは、仏典の言語であるパーリ語サンスクリットには当然通じていたはず。

『四十二章経』の内容は、パーリ語仏典の『阿含経』や『法句経』などに基づいている”らしい” (未検証)。

最初期の訳経僧はパーリ語thūpaにそのまま「塔*tʰuːb」の字を当てた?

buddha「佛」nibbāna「涅槃」など、『四十二章経』でも使用される漢訳語は、語末のaが落ちる強い傾向。

・ちなみに、語末のaの弱化・脱落は、ヒンドゥスターニー語をはじめとする現代のインド語群でも起こる。

・漢訳語におけるaの脱落は、訳経僧の母語を反映している可能性も。

・いずれにせよ、「塔」の語源は、パーリ語のthūpaだけで十分説明できる。

→わざわざ「卒塔婆」の略称と考える必要はない。

 

② 『説文解字』(2世紀前半)にも収録された「塔」

・「塔:西域浮屠也。从土荅聲。」(中國哲學書電子化計劃字典)

大意:「塔」は西域に由来する「浮屠」のことで、義符は「土」・音符は「荅」。

・「浮屠」はbuddhaの音写のはずだが、ここでは当然、ストゥーパを指す。

・実際、「浮屠」にはストゥーパの意味もある。

「宣忠寺...門有三層浮屠一所...」(『洛陽伽藍記』、5世紀、『大正新脩大藏經』第51巻 )

・では、仏陀ストゥーパという意味変化が生じたのは何故か?

→多分、「雷門」で浅草寺全体を指せるのと同じノリで、仏舎利の入った建物を「仏陀」と呼んでたから。

(「シネクドキー」の一種、ただし実際にそのような事実があったかは不明) 

 

・『説文解字』は仏教が中国に伝来したばかりの時期に成立。

・その『説文解字』には、「塔」への言及はあっても「卒塔婆」への言及はない。

→本当に「卒塔婆」の略称なら、そのことが『説文解字』に言及されててもいいはず。

 

③「卒塔婆」の使用頻度

https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/の検索機能を利用。

卒塔婆」のヒット数・・・わずか1件。

・しかもその1件は、日本の学僧・杲宝(14世紀)が著した『大日經教主本地加持分別』の一節。

・一方、「窣堵波」は589件、「窣都婆」は21件ヒット。

・漢文の仏典の集成である「大蔵経」の中に「卒塔婆」がこれだけしか現れない。

→やはり「塔」が「卒塔婆」の訳とは考えにくい。

 

まとめ

・「塔」も「卒塔婆」もサンスクリット stūpaと語源的な繋がりがあるが、前者が後者の略称に由来するとは考えにくい。

 

いかがでしたか?

*1:釈尊の死後、その遺骨は細かく分けられ、インドやその周辺地域に分配された。この仏舎利を納めた建造物が「ストゥーパ」。

*2:この「卒塔婆」は勿論、もともとストゥーパを模したもの。